「背中、かゆい…」
一人暮らしのアパートで、どうにも手の届かない場所がかゆくて、私は壁に背中をこすりつけていました。
「熊か、私は」
自分でツッコミを入れながら、でも他に方法がありません。
手を伸ばしても届かない。
体が硬いので、背中の真ん中あたりには、どうやっても指が届かないんです。
「孫の手、欲しいな…」
そう思いました。
でも、孫の手なんて、どこで売ってるんだろう。
ホームセンター?雑貨屋?
わざわざ買いに行くのも面倒だな、と思っていた時。
ふと、「100均にあるかも」と思いつきました。
次の休みの日、ダイソーに行きました。
店内をうろうろしていると、「生活雑貨」のコーナーに、ありました。
孫の手。
「あ、本当にあった」
手に取ってみると、思ったより軽い。
プラスチック製で、長さは40センチくらい。
先端は、手の形になっていて、指が5本ついています。
「これで110円か…安い」
色は、白とピンクと木目調がありました。
なんとなく、木目調を選びました。
「プラスチックだけど、木っぽく見えるのがいいな」
レジで会計を済ませて、家に帰りました。
早速使ってみると、これが素晴らしく便利でした。
背中のかゆいところに、ピンポイントで届く。
「これだよ、これ!」
今まで届かなかった場所に、手(孫の手だけど)が届く快感。
「なんでもっと早く買わなかったんだろう」
たった110円で、こんなに生活が快適になるなんて。
でも、この時の私は、まだ知りませんでした。
この孫の手が、背中をかくだけじゃない、いろいろな使い方があることを。
そして、「かゆいところに手が届く」という言葉の、本当の意味を教えてくれることを。

孫の手で届く世界が広がった
孫の手を買ってから、生活が変わりました。
最初は、単純に背中をかくために使っていました。
お風呂上がり、乾燥で背中がかゆい時。
寝る前、なんとなく背中がむずむずする時。
「ああ、気持ちいい…」
孫の手で背中をかくのが、小さな幸せになりました。
でも、使っているうちに、他の用途にも気づき始めました。
ある日、棚の奥に物を落としてしまいました。
手を伸ばしても届きません。
「あー、取れない…」
そこで、孫の手を使ってみました。
先端の「手」の部分で、落ちた物を引っ掛けて、手前に引き寄せる。
「おお、取れた!」
便利です。
それから、孫の手が「物を取る道具」としても活躍するようになりました。
- ベッドの下に落ちたリモコン
- 冷蔵庫の裏に転がったペンのキャップ
- 家具の隙間に入り込んだイヤリング
- 高い棚の奥にある箱
手が届かない場所にある物を取るのに、孫の手が大活躍。
「これ、孫の手じゃなくて、『万能の手』だな」
さらに、窓を開ける時にも使えることに気づきました。
私のアパートの窓は、少し高い位置についています。
背伸びしないと、窓の取っ手に手が届きません。
でも、孫の手を使えば、楽に開け閉めできる。
「こんな使い方もあるのか」
エアコンのリモコンが、高い位置にある時も、孫の手でボタンを押せます。
カーテンのフックが外れた時も、孫の手で直せます。
「孫の手、万能すぎる」
たった110円の道具が、こんなに生活を便利にしてくれるなんて。
「100均、すごいな」
改めて思いました。

祖母の家で孫の手を使った思い出
孫の手を使っていると、ふと子供の頃の記憶が蘇りました。
祖母の家に遊びに行くと、いつも居間の隅に、孫の手が置いてありました。
竹製の、年季の入った孫の手。
「おばあちゃん、これ何?」
子供の私が聞くと、祖母は笑いながら答えました。
「孫の手よ。背中がかゆい時に使うの」
「なんで『孫の手』って言うの?」
「孫の手みたいに、優しくかいてくれるからよ」
「へえ」
その時は、よくわかりませんでした。
でも、祖母が孫の手で背中をかいている姿を、よく見ました。
「ああ、気持ちいい…」
祖母は、目を細めて、幸せそうな顔をしていました。
時々、私が孫の手を持って、祖母の背中をかいてあげることもありました。
「もうちょっと右。そうそう、そこそこ」
「ここ?」
「そう、そこ。上手ね」
祖母は、本当に嬉しそうでした。
「孫が、孫の手を使って背中をかいてあげる。面白いわね」
祖母は、笑いました。
私も笑いました。
今思えば、それは祖母との大切な時間でした。
「孫の手って、ただの道具じゃないんだな」
100均で買った孫の手を見ながら、そう思いました。
孫の手には、人と人を繋ぐ温かさがある。
誰かの「かゆいところに手が届く」ように手助けする、優しさがある。
そんなことを、子供の頃の記憶が教えてくれました。

孫の手を持って実家に帰った
ある連休、実家に帰省しました。
なんとなく、100均で買った孫の手を持って行きました。
「もしかしたら、実家でも使えるかも」
実家に着いて、荷物を置いていると、母が言いました。
「あら、それ何?」
「孫の手。100均で買ったんだ」
「へえ、今はこんなのがあるのね」
母は、興味深そうに見ていました。
「軽いのね。昔は、竹製で重かったけど」
「これ、プラスチック製だから軽いよ。使ってみる?」
母に渡すと、母は早速、背中をかき始めました。
「ああ、いいわね。ちょうど背中がかゆかったのよ」
「でしょ?便利だよね」
「これ、どこで買ったの?」
「ダイソー。110円」
「そんなに安いの?じゃあ、私も買おうかしら」
「いいよ、これあげる。私、また買うから」
「いいの?ありがとう」
母は、嬉しそうに孫の手を受け取りました。
その夜、家族でテレビを見ている時、父が言いました。
「ちょっと、その孫の手、貸して」
母が父に孫の手を渡すと、父も背中をかき始めました。
「おお、いいな。これ、どこで買ったんだ?」
「100均だって」
「100均にこんなのあるのか。便利だな」
父も気に入ったようでした。
「じゃあ、もう一本買ってくるよ。お父さん用に」
次の日、近くのダイソーに行って、孫の手をもう一本買いました。
今度は白いのを選びました。
「はい、お父さん用」
「おお、ありがとう」
それから、実家のリビングには、孫の手が2本置かれるようになりました。
母用と、父用。
「孫の手、家族で共有するものだと思ってたけど、一人一本あるのもいいね」
母が言いました。
「そうね。自分専用だと、なんだか特別な感じがするわ」
些細なことですが、家族がそれぞれ自分の孫の手を持つことで、ちょっとした幸せが増えた気がしました。

一人暮らしの友人にプレゼントした
友人のアパートに遊びに行った時のこと。
友人が、壁に背中をこすりつけていました。
「何してるの?」
「背中がかゆくて…でも手が届かない」
「あー、わかる。私も前はそうだった」
「前は?」
「今は、孫の手使ってる」
「孫の手?」
友人は、孫の手を知らないようでした。
「背中をかく道具だよ。棒の先に手がついてて、届かないところに届く」
「へえ、そんなのあるんだ」
「100均に売ってるよ。めっちゃ便利」
「今度買ってみる」
でも、友人は忙しい人で、なかなか買い物に行く時間がなさそうでした。
「じゃあ、今度買ってきてあげる」
次に会う時、私は孫の手を買って持って行きました。
「はい、これ」
「え、買ってきてくれたの?ありがとう!」
友人は、すごく喜んでくれました。
「早速使ってみていい?」
「もちろん」
友人は、その場で孫の手を使って背中をかき始めました。
「うわ、これすごい!届く!」
「でしょ?」
「なにこれ、最高。なんでもっと早く知らなかったんだろう」
友人の嬉しそうな顔を見て、私も嬉しくなりました。
「たった110円で、こんなに喜んでもらえるなんて」
プレゼントとして、すごくコスパがいいな、と思いました。
それから、友人は孫の手を愛用するようになりました。
後日、LINEでこんなメッセージが来ました。
「孫の手、めっちゃ使ってる。背中かくだけじゃなくて、高いところの物を取るのにも使える」
「そうそう、意外と万能だよね」
「この前、エアコンの上に猫のおもちゃが乗っちゃって、孫の手で取ったよ」
「いい使い方だね(笑)」
「マジで生活必需品になった。ありがとう」
「どういたしまして」
友人の喜ぶ姿を想像して、私も幸せな気持ちになりました。
孫の手みたいな、地味で小さな道具。
でも、そういうものが、誰かの生活をちょっと便利にする。
ちょっと幸せにする。
「プレゼントって、高価なものじゃなくてもいいんだな」
相手の生活の、かゆいところに手が届くもの。
それが一番喜ばれるんだと、気づきました。

職場のデスクにも孫の手を置いた
ある日、職場で面白いことに気づきました。
デスクの配置上、パソコンの裏側にコードが落ちることがよくあるんです。
手を伸ばしても届かない。
デスクの下に潜り込むのも面倒。
「あ、これ、孫の手で取れるんじゃない?」
家に帰って、もう一本孫の手を買いました。
これは職場用です。
次の日、孫の手を職場に持って行きました。
デスクの引き出しに入れておいて、必要な時に使う。
すると、これが予想以上に便利でした。
パソコンの裏に落ちたUSBケーブルを取る。
キャビネットの後ろに落ちたクリップを拾う。
高い棚にある書類を取る。
エアコンのルーバーを調整する。
「孫の手、オフィスでも使える」
同僚がそれを見て、言いました。
「それ何?」
「孫の手。いろいろ便利だよ」
「へえ、オフィスで孫の手使うの、面白いね」
「意外と活躍するよ。手が届かない場所に、これで届く」
「確かに、オフィスって手が届かない場所、多いもんね」
同僚も興味を持ったようでした。
「100均で買えるよ」
「今度買ってみようかな」
それから、うちの部署では、孫の手を持っている人が増えました。
デスクの引き出しに、孫の手。
最初は変な光景かもしれませんが、実用的です。
「オフィスの七つ道具に、孫の手を加えたい」
誰かが冗談で言いました。
みんな笑いましたが、意外と本気でそう思っている人も多かったと思います。
高齢の隣人に孫の手を渡した話
私のアパートの隣には、80代の女性が一人で暮らしていました。
時々、廊下で会うと、挨拶を交わす程度の関係でした。
ある日、隣人が廊下で困っている様子でした。
「どうかされましたか?」
「あの…部屋の電気が消えないの。スイッチが高くて、届かなくて」
隣人は、小柄な女性でした。
天井近くについているスイッチには、手が届かないようです。
「ちょっと待ってください」
私は部屋に戻って、孫の手を持ってきました。
「これで、押してみてください」
隣人に孫の手を渡すと、それを使ってスイッチを押しました。
「あ、消えた!ありがとうございます」
「よかったです」
孫の手を返そうとする隣人に、私は言いました。
「これ、よかったら使ってください。私、他にもあるので」
「え、いいんですか?」
「はい。高いところのスイッチとか、いろいろ使えると思います」
「ありがとうございます。助かります」
隣人は、本当に嬉しそうでした。
それから、時々隣人と話す機会が増えました。
「この前もらった孫の手、すごく便利で。カーテンレールの埃を取るのにも使ってるんですよ」
「それはいい使い方ですね」
「年を取ると、手が届かないところが増えて。でも、これがあると、一人でできることが増えるんです」
隣人の言葉を聞いて、私はハッとしました。
「一人でできることが増える」
孫の手は、ただの便利グッズじゃない。
高齢者や、体が不自由な人にとっては、「自立」を助ける道具なんだと。
「誰かに頼まなくても、自分でできる」
その喜びは、きっと私が想像する以上に大きいんだと思いました。
「100均の孫の手が、誰かの尊厳を守ってるんだな」
そう思うと、110円の道具が、とても尊いものに思えました。

孫の手コレクションが増えた
孫の手を使い続けているうちに、いろいろな種類があることに気づきました。
100均だけでも、こんなにバリエーションがあるんです。
標準的なプラスチック製(私が最初に買ったタイプ)
- 長さ:約40cm
- 色:白、ピンク、木目調など
- 価格:110円
伸縮式の孫の手
- 長さを調節できる
- 短くすれば持ち運びに便利
- 価格:110円(ダイソー)、220円(セリア)
マッサージ機能付き孫の手
- 先端にローラーがついていて、背中をマッサージできる
- 気持ちいい
- 価格:110円
竹製の孫の手
- 昔ながらのデザイン
- プラスチックより重いけど、高級感がある
- 価格:110円
キャラクターデザインの孫の手
- 子供向け?可愛いデザイン
- 使い心地は普通
- 価格:110円
いろいろ試してみたくなって、私は何本か買い揃えました。
部屋用、職場用、実家用、予備用…。
気づけば、孫の手が5本くらいになっていました。
「孫の手コレクター」
自分で自分にツッコミを入れましたが、それぞれに使い道があるんです。
部屋では、標準的なプラスチック製。
職場では、短い伸縮式(デスクの引き出しに収納しやすい)。
実家には、竹製をプレゼント(母が「高級感がある」と喜んだ)。
カバンには、伸縮式の小さいやつを入れて、外出先でも使えるように。
「用途に応じて使い分けるの、楽しい」
友人に話すと、笑われました。
「孫の手マニアだね」
「まあ、否定はしない」
でも、この「ちょっとした楽しみ」が、日常を豊かにしてくれるんです。
100均の孫の手を集めるなんて、傍から見たら変かもしれません。
でも、小さな幸せって、そういうものだと思います。
孫の手が教えてくれたこと
孫の手を使い始めて、1年くらい経ちました。
振り返ってみると、孫の手は私にいろいろなことを教えてくれました。
1. 小さな道具が、大きな快適さをもたらす
たった110円の孫の手。
でも、これがあるだけで、毎日がちょっと便利になりました。
背中のかゆみを我慢しなくていい。
手の届かない場所にある物を、簡単に取れる。
小さな不便が解消されるだけで、生活の質が上がるんです。
2. 「かゆいところに手が届く」の本当の意味
この言葉、比喩として使われますよね。
「細かいところまで配慮が行き届いている」という意味で。
孫の手を使うようになって、この言葉の意味が、身体でわかるようになりました。
文字通り、かゆいところに手が届く快感。
そして、誰かの困りごとを解決してあげる喜び。
孫の手をプレゼントした友人や、隣人や、家族の喜ぶ顔。
「人の役に立つって、こういうことなんだな」
小さなことでいい。
相手のかゆいところに、手が届くような配慮。
それが、人と人との関係を温かくするんだと思いました。
3. シンプルな道具の美しさ
孫の手は、すごくシンプルな道具です。
棒の先に、手の形がついているだけ。
電池もいらない。
充電もいらない。
壊れることもほとんどない。
「シンプルって、美しいな」
最近の製品は、どんどん高機能になっています。
スマホも、家電も、いろんな機能がついている。
でも、孫の手は違う。
何百年も前から、基本的な形は変わっていません。
なぜなら、完成されているから。
「これ以上、何も足す必要がない」
そういう道具の美しさを、孫の手は教えてくれました。
4. 世代を超えて使われる道具の温かさ
祖母が使っていた孫の手。
母が使っている孫の手。
そして、私が使っている孫の手。
形は変わっても、用途は同じ。
「孫の手って、世代を超えて使われてるんだな」
江戸時代から、平成、令和まで。
ずっと、人々の背中をかいてきた道具。
そう思うと、なんだか感慨深いです。
私もいつか、自分の子供や孫に、孫の手の使い方を教えるかもしれません。
「これはね、背中がかゆい時に使うのよ」
そんな会話をする日が来たら、素敵だなと思います。
孫の手のない生活はもう考えられない
今、孫の手は私の生活必需品です。
家にも、職場にも、実家にも。
どこにでも孫の手がある状態。
「孫の手のない生活、もう考えられない」
友人に言うと、笑われました。
「大げさだよ」
「いや、本当に。あると便利すぎて、もう手放せない」
試しに、1週間孫の手を使わない生活をしてみたことがあります。
結果、すごく不便でした。
背中がかゆくても、壁にこすりつけるしかない。
高いところの物を取るのに、椅子に登らないといけない。
落ちた物を拾うのに、いちいちしゃがまないといけない。
「やっぱり孫の手必要だ…」
3日で挫折しました。
人間、一度便利さを知ってしまうと、もう戻れないんですね。
でも、それでいいと思います。
生活を便利にしてくれる道具を使うのは、悪いことじゃない。
むしろ、積極的に使うべきです。
「110円で買える幸せ、最高」
そう思いながら、今日も私は孫の手を使っています。
孫の手を通じて知った「小さな親切」
孫の手を使うようになってから、人に親切にする機会が増えました。
たとえば、電車の中で。
網棚に荷物を置こうとしている小柄な女性がいました。
背伸びしても、届かない様子。
「あの、手伝いましょうか?」
「あ、すみません。お願いします」
私が荷物を網棚に置いてあげると、女性はお礼を言いました。
「ありがとうございます。助かりました」
「いえいえ」
この時、ふと思いました。
「これって、孫の手みたいだな」
手の届かないところに、手を貸してあげる。
それが、小さな親切なんだと。
孫の手を使い始めてから、「手が届かない」という状況に、敏感になりました。
自分が困った経験があるから、同じように困っている人に気づけるようになったんです。
スーパーで、高い棚の商品を取れずに困っている高齢者がいたら、声をかける。
図書館で、手の届かない本を取ろうとしている人がいたら、手伝う。
駅で、改札の上にある案内板が見えない人がいたら、教えてあげる。
小さな親切ですが、喜んでもらえます。
「ありがとう」
その言葉を聞くと、自分も嬉しくなります。
「孫の手が、私を優しくしてくれたのかもしれない」
大げさかもしれませんが、そう思います。
自分の不便を解消してくれた道具が、他人の不便にも気づかせてくれた。
「かゆいところに手が届く」人間になりたいな、と思うようになりました。

ある日、孫の手が折れた
ある日、事件が起こりました。
職場で使っていた孫の手が、折れてしまったんです。
デスクとキャビネットの隙間に落ちた物を取ろうとして、無理な力をかけてしまいました。
「バキッ」
嫌な音がして、孫の手の首の部分が折れました。
「あー…」
ショックでした。
たった110円の道具ですが、毎日使っていたので、愛着があったんです。
「お疲れ様。ありがとう」
折れた孫の手に、心の中でお礼を言いました。
そして、ゴミ箱に捨てようとした時、ふと思いました。
「まだ使えるかも」
折れた部分を見ると、接着剤でくっつけられそうな感じでした。
家に帰って、瞬間接着剤でくっつけてみました。
乾くまで、洗濯バサミで固定して、一晩置きました。
翌朝、恐る恐る使ってみると…。
「おお、使える!」
完全に元通りとはいきませんが、普通に使えるレベルに復活しました。
「よかった」
なんだか、ペットの病気が治った時みたいな気持ちになりました。
「たかが孫の手、されど孫の手」
物を大切にする気持ち。
すぐに捨てずに、修理して使う気持ち。
孫の手が、そんなことも教えてくれました。
ちなみに、修理した孫の手は、今も現役で使っています。
折れた部分に、マスキングテープを巻いて補強しました。
「傷だらけの孫の手だけど、一番愛着がある」
新品よりも、使い込んだ道具の方が、温かみがあるんですよね。
孫の手を使わない人の気持ちもわかる
孫の手の良さを、いろんな人に話してきました。
でも、中には興味を示さない人もいます。
「別に、孫の手なくても困らないし」
「背中かゆくなったら、誰かに頼めばいいじゃん」
「そこまで必要性を感じない」
確かに、そうかもしれません。
孫の手がなくても、生活はできます。
私だって、孫の手を買う前は、何年もそうやって生きてきました。
「別になくてもいいけど、あったら便利」
それが孫の手の立ち位置なんだと思います。
必需品ではないけれど、あると幸せになれる道具。
そういう「ちょっとした便利さ」に価値を感じるかどうかは、人それぞれです。
私は、そういう小さな幸せを大切にしたいタイプ。
でも、そうじゃない人もいる。
「それでいいんだと思う」
人に押し付けるものじゃない。
ただ、もし誰かが「背中がかゆい」と困っていたら、そっと孫の手を勧めてあげる。
それくらいの距離感がちょうどいいのかもしれません。
最近買った「進化系孫の手」
最近、100均で面白い孫の手を見つけました。
「まごのて plus」という商品名で、先端が2way仕様になっているんです。
片方は普通の「手」の形。
もう片方は、ブラシになっている。
「これ、すごくない?」
背中をかくだけじゃなく、ブラシで背中をマッサージもできる。
「孫の手、進化してる…」
早速買って、使ってみました。
ブラシ面で背中をこすると、気持ちいい。
血行が良くなる感じがします。
「お風呂上がりに使うと、最高だな」
それに、ブラシ面は掃除にも使えます。
キーボードの隙間とか、窓のサッシとか。
「多機能孫の手、すごい」
100均も進化しているんだなと、感心しました。
ただ、昔ながらのシンプルな孫の手も、やっぱり好きです。
「どっちも良さがある」
用途に応じて使い分けるのが、一番いいのかもしれません。
道具って、進化していくものですが、基本は変わらない。
「手の届かないところに、届くようにする」
その目的は、何百年も前から同じです。
形が変わっても、本質は変わらない。
そういうところが、孫の手の魅力なんだと思います。
孫の手がくれた「気づき」
孫の手という、たった110円の道具。
でも、これが私に教えてくれたことは、たくさんあります。
「手の届かない場所がある」ということを、意識するようになりました。
物理的な意味でも、比喩的な意味でも。
自分一人では届かない場所に、道具や人の助けがあれば届く。
そして、自分も誰かの「届かない場所」に手を伸ばしてあげられる。
「助け合いって、そういうことなんだな」
孫の手を使うたびに、そんなことを考えます。
大げさかもしれませんが、孫の手は私の人生哲学になりました。

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