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【ダイソー・セリア】100均のストップウォッチが教えてくれた、時間の価値と父との最期の日々

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父が「余命3ヶ月」と宣告されたのは、冬の初めだった。末期の肺癌。すでに全身に転移している。医師の言葉は冷静で、容赦なかった。「治療の選択肢はほぼありません。残された時間を、できるだけ苦痛なく過ごせるようにしましょう」。病院からの帰り道、私は呆然としていた。3ヶ月。90日。2,160時間。

父と過ごせる時間が、突然、数字で示された。その具体性が、恐ろしかった。家に帰り、何気なく立ち寄った100均で、私はストップウォッチを手に取った。110円。シンプルなデジタル式。スタート、ストップ、リセット。たったそれだけの機能。

なぜそれを買ったのか、自分でもよく分からなかった。ただ、「時間を測りたい」という衝動に駆られた。父と過ごす残りの時間を、一秒も無駄にしたくない。このストップウォッチが、父との最期の日々の記録係になるとは、その時は思ってもいなかった。

目次

時間を測り始めた理由

父は入院を拒否した。

「どうせ治らないなら、家で過ごしたい」

頑固な父らしい決断だった。在宅医療の手配をして、父は自宅で最期の時間を過ごすことになった。

私は会社を休職した。独身で、両親以外に扶養家族もいない。貯金もそれなりにある。今、父のそばにいなければ、一生後悔する。

最初の一週間は、ただ父のそばに座って、時間が過ぎるのを見ていた。父は眠っている時間が長かった。起きている時間は短く、そして苦しそうだった。

何もできない自分が、もどかしかった。

ある日、ふと、ポケットに入れていた100均のストップウォッチを取り出した。

そして、父が目を覚ました瞬間、スタートボタンを押した。

父と会話できる時間。父が笑顔を見せる時間。父が苦しまずにいられる時間。

それを、測りたかった。

最初の日、父が起きていたのは、合計3時間42分だった。

その日のノートに、記録した。

「12月5日、父が起きていた時間:3時間42分」

なぜそんなことをしたのか、今でもはっきりとは説明できない。ただ、時間を「測る」ことで、その時間が「実在した」という証を残したかったのかもしれない。

daiso ストップウォッチ

父との会話時間を測る

数日後、私は記録の仕方を変えた。

父が起きている時間だけでなく、「父と会話できた時間」を測るようにした。

父の体調が良い時、父は話をした。昔の思い出、仕事のこと、母が生きていた頃のこと(母は5年前に他界していた)。

会話が始まると、私はさりげなくストップウォッチをスタートさせた。父が話し疲れて黙ると、ストップ。また話し始めると、スタート。

12月10日、父との会話時間:52分 12月11日、父との会話時間:1時間8分 12月12日、父との会話時間:34分

日によって、波があった。

体調が良い日は、1時間以上話せる。悪い日は、ほとんど話せない。

記録を続けるうちに、パターンが見えてきた。

午前中、特に10時から11時頃が、父の体調が一番良い時間帯だった。逆に、夕方は疲れて、ほとんど会話ができない。

それに気づいてから、私は午前中の時間を大切にするようになった。その時間に、父に聞きたいことを聞く。話したいことを話す。

100均のストップウォッチが、父との貴重な時間を最大限に活用するためのツールになった。

 ストップウォッチ

「笑顔の時間」を測る

12月の中旬、私は新しい記録項目を追加した。

「父が笑った時間」

父は元々、無愛想な人だった。笑顔を見せることが少ない。でも、病気になってから、さらに笑わなくなった。痛みと不安で、表情が硬くなっていた。

だからこそ、父が笑う瞬間は、とても貴重だった。

昔の写真を見せて、「この時のお父さん、髪の毛フサフサだね」と言うと、父は小さく笑った。

「バカ言うな。昔から薄かったよ」

その会話の間、父は笑顔だった。ストップウォッチで測ると、23秒。

たった23秒。でも、その23秒は、何物にも代えがたい時間だった。

それから、私は意識的に、父を笑わせようとした。

昔のテレビ番組の話をする。父の若い頃の失敗談を聞き出す。くだらない冗談を言う。

父が笑うと、ストップウォッチをスタート。笑顔が消えると、ストップ。

12月15日、父の笑顔時間:2分18秒 12月16日、父の笑顔時間:3分41秒 12月17日、父の笑顔時間:1分5秒

一日に、数分。でも、その数分のために、私は努力した。

後から思えば、馬鹿げていたかもしれない。死を目前にした父を笑わせようと必死になる娘。そして、その笑顔の時間をストップウォッチで測る。

でも、当時の私にとって、それは真剣な戦いだった。父の苦痛の時間に対抗する、笑顔の時間を少しでも増やしたい。

100均 ストップウォッチ

ストップウォッチを複数使うようになった

記録項目が増えてきて、一つのストップウォッチでは足りなくなった。

私は100均に行き、同じストップウォッチをさらに3個購入した。合計4個。それぞれに、マスキングテープでラベルを貼った。

  1. 「覚醒時間」(父が起きている時間)
  2. 「会話時間」(父と会話している時間)
  3. 「笑顔時間」(父が笑っている時間)
  4. 「安らぎ時間」(父が苦痛なく、穏やかに過ごしている時間)

4つのストップウォッチを、常にポケットに入れて持ち歩いた。

父が目を覚ますと、「覚醒時間」をスタート。 会話が始まると、「会話時間」をスタート。 父が笑うと、「笑顔時間」をスタート。 父が穏やかな表情で、静かに座っていると、「安らぎ時間」をスタート。

一日の終わりに、4つのストップウォッチの記録をノートに転記した。

そして、グラフにした。横軸は日付、縦軸は時間。4つの折れ線グラフが、父の状態を視覚化した。

訪問看護師が、私の記録を見て驚いた。

「すごいですね。ここまで詳細に記録している家族は初めてです」

「でも…大丈夫ですか?記録に囚われすぎて、疲れていませんか?」

看護師の心配は、もっともだった。実際、私は記録に囚われていた。父といる時間、常にストップウォッチを意識していた。

「父が笑った、ストップウォッチをスタートしなきゃ」 「父が話し始めた、会話時間を測らなきゃ」

自然に父と過ごすのではなく、「記録する」ことが目的になっていた。

でも、やめられなかった。記録をやめたら、父との時間が、ただ流れ去ってしまう気がした。記録することで、その時間を「掴んで」いたかった。

100均 ストップウォッチ

在宅医との会話

12月下旬、定期訪問に来た在宅医が、私の4つのストップウォッチに気づいた。

「これは?」

事情を説明すると、医師は少し考え込んでから、言った。

「あなたの気持ちは分かります。でも、一つ質問していいですか?」

「この記録は、誰のためですか?お父さんのため?それとも、あなた自身のため?」

その質問に、私は答えられなかった。

医師は優しい口調で続けた。

「記録することは悪いことではありません。でも、記録に囚われて、『今、この瞬間』を見失わないでください」

「お父さんが笑った時、ストップウォッチをスタートする前に、まずお父さんの笑顔を見てください。その笑顔を、心に刻んでください」

「時間は、数字だけで測れるものではありません」

医師の言葉は、胸に突き刺さった。

確かに、私は数字に囚われていた。父の笑顔時間が「3分41秒」だったことは記録しているが、父がどんな顔で笑ったか、どんな声で笑ったか、それを本当に覚えているだろうか?

その夜、私は4つのストップウォッチを見つめた。

そして、決めた。使い方を変えよう。

ストップウォッチの使い方を変えた

翌日から、私はストップウォッチの使い方を変えた。

もう、リアルタイムで測るのはやめた。

代わりに、父との時間が終わった後、記憶を辿って、「あの時間は、どれくらいだったか」を推測し、それをストップウォッチで確認するようにした。

父が笑った。まず、その笑顔をしっかり見る。目尻のしわ、少し歯が見える口元、穏やかな目。その全てを、心に焼き付ける。

父が眠った後、「さっきの笑顔は、どれくらい続いただろう?」と思い出す。「たぶん、30秒くらい」と推測する。そして、ストップウォッチで30秒を測ってみる。

「ああ、30秒って、こんなに長いんだ」

あるいは、「意外と短いな」

時間の感覚が、研ぎ澄まされていった。

父と会話している時、もうストップウォッチは気にしない。父の言葉に集中する。父の表情を見る。父の手を握る。

その時間が終わった後、「今の会話は、15分くらいだったかな」と推測する。そして、ストップウォッチで15分を測ってみる。

実際には12分だったり、20分だったり。推測と実際の誤差を知ることで、「充実した時間は短く感じる」「辛い時間は長く感じる」という、時間の主観性を理解するようになった。

記録は続けたが、記録の目的が変わった。

数字を集めることが目的ではなく、「その時間を、どう感じたか」を確認することが目的になった。

父が私の記録に気づいた日

12月28日、父が私に聞いた。

「お前、最近、よくストップウォッチを見てるな」

隠していたつもりだったが、気づかれていたらしい。

正直に説明した。父との時間を記録していること。会話の時間、笑顔の時間、穏やかな時間。全て、記録していること。

父は最初、困惑した顔をした。

「そんなこと、しなくていいのに」

でも、私が続けて説明すると、父は黙って聞いていた。

「お父さんとの時間が、あとどれくらいあるか分からない。だから、一秒も無駄にしたくない。でも、時間はどんどん流れていく。だから、記録したかった。その時間が、確かに存在したって、証を残したかった」

言葉にすると、涙が溢れた。

父は、やせ細った手で、私の頭を撫でた。

「ありがとうな」

それだけ言って、父は少し笑った。

その笑顔の時間を、私は測らなかった。ただ、心に刻んだ。おそらく、10秒くらい。でも、その10秒は、私の人生で最も大切な10秒の一つになった。

新年を迎えて

父は年を越した。医師の予想より、長く生きていた。

1月1日、父は目を覚まして、「あけましておめでとう」と言った。

「おめでとう、お父さん」

簡単な雑煮を作った。父はほとんど食べられなかったが、一口だけ、口にした。

「うまいな」

その言葉を聞けただけで、嬉しかった。

新年の午前中、父と私は、昔のアルバムを見た。

母が生きていた頃の写真。私が子供だった頃の写真。家族旅行の写真。

父は一枚一枚、ゆっくり見ながら、思い出を語った。

「この時、お前、迷子になって、母さんが泣きながら探したんだ」

「この旅行、車のタイヤがパンクして、大変だったな」

「この写真の母さん、きれいだろう」

父の話を聞きながら、私はストップウォッチのことを忘れていた。ポケットに入っているはずなのに、全く気にならなかった。

父が話し終えて、疲れて眠った後、私はストップウォッチを取り出した。

「さっきの会話、どれくらいだったかな」

たぶん、1時間くらい。とても充実した時間だった。

ストップウォッチで1時間を測ってみた。

「1時間って、こんなに長いんだ」

でも、さっきの父との時間は、あっという間だった。

充実した時間は、長いのに、短く感じる。不思議だった。

父の「やりたいこと」リスト

1月5日、父が突然、言った。

「やりたいことがある」

体調が悪化していく中で、父がまだ「やりたいこと」があると言ったことに、驚いた。

「何?」

「庭に出たい」

私たちの家には、小さな庭がある。父が丹精込めて手入れしていた庭。でも、父はもう何ヶ月も、外に出ていなかった。

「大丈夫かな…」

不安だったが、父の希望を叶えたかった。訪問看護師に相談すると、「短時間なら大丈夫でしょう」と言ってくれた。

翌日、天気が良かった。私と看護師で、父を車椅子に乗せて、庭に出た。

1月の冷たい空気。でも、陽射しは暖かかった。

父は庭の植木を見て、小さく笑った。

「ずいぶん、伸びたな」

私が手入れをサボっていたので、庭は少し荒れていた。

「ごめん、ちゃんと手入れできてなくて」

「いいんだ。それでも、生きてるんだな、この木も」

父は庭に、15分いた。

その15分、父はずっと、穏やかな顔をしていた。苦痛の表情がなかった。

部屋に戻った後、私はストップウォッチで15分を測った。

「15分って、こんなに短いのか」

でも、その15分で、父の願いが一つ叶った。

私はノートに書いた。

「父のやりたいこと、リスト:

  1. 庭に出る(達成)
  2. ?」

「他に、やりたいことある?」と聞くと、父は少し考えて、言った。

「お前の、小さい頃の笑い声を、もう一度聞きたいな」

不意を突かれた。

「笑い声?」

「ああ。お前が子供の頃、よく笑う子だった。キャッキャッって。あの声、好きだったな」

私は、もう35歳だ。子供の頃のような笑い声なんて、出せるだろうか。

でも、やってみた。

くすぐり合いごっこをしていた頃を思い出して、「キャハハハ!」と笑ってみた。

わざとらしくて、恥ずかしかった。でも、父は嬉しそうに笑った。

「ああ、そうそう。その声だ」

父の笑顔を見て、私も本当に笑えた。

二人で、笑い合った。

その時間、測らなかった。でも、たぶん2〜3分。短いけれど、濃密な時間。

時間の感覚が変わっていく

1月の中旬、父の状態は少しずつ悪化していった。

起きている時間が短くなった。会話できる時間も減った。

でも、私は焦らなくなっていた。

3ヶ月前、「余命3ヶ月」と言われた時、私はパニックになった。時間が足りない。もっと時間が欲しい。

でも、今は違う。

限られた時間の中で、質の高い時間を過ごせれば、それでいい。

父と10分話せたなら、その10分を大切にする。5分しか話せなくても、その5分に集中する。

ストップウォッチで時間を測り続けることで、逆説的だが、私は時間の「量」ではなく「質」を意識するようになっていた。

100均のストップウォッチ、たった110円。でも、それが私に教えてくれた。

時間は、秒数で測れるものではない。

同じ10分でも、充実した10分と、空虚な10分は、全く違う。

父との残り時間が「何時間あるか」ではなく、「どんな時間を過ごすか」が大切なんだ。

最期の日

1月23日、父の容態が急変した。

在宅医が来て、「おそらく、今日か明日」と告げた。

私は父のベッドの横に座って、父の手を握った。

父は、ほとんど意識がなかった。でも、時々、目を開けた。

「お父さん、私、ここにいるよ」

父は、小さく頷いた。

ポケットには、4つのストップウォッチが入っていた。でも、取り出さなかった。

今は、記録する時ではない。ただ、父と一緒にいる時。

夕方、父が小さく息を吸い込んだ。

そして、私の方を見た。

「ありがとう」

かすかな声。でも、確かに聞こえた。

「こちらこそ、ありがとう」

私は父の手を、強く握った。

それから数分後、父は静かに息を引き取った。

穏やかな顔だった。苦しんでいるようには見えなかった。

私は泣いた。

でも、後悔はなかった。

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